最近、ある世界では実存主義者な私
ここの話だけど、
何を危惧しているのかさっぱりわからないのです。
J・P・サルトルのような無神論的実存主義で見ていけばいいだけなんですから。
書き手も、読み手も、自由なのだから、自己責任を自覚し、
「われ思う、ゆえに我あり」のまま、自分の頭で考えた結果を
表現してもいいと思います。
自分の頭で考えなかったら、存在しないも同じことですもの。
ただ、自分の頭で考え、決断したことに対しての自分の責任をとることは必須です。
実存主義では、神や仏などの存在を否定し、同じような権威もないのですから、
そして、いかなる利益も不利益も、等しく、人が責任としなければならないと思います。
責任をとってくれる神も仏も権威もありません。
神を否定したのなら、「神の見えざる手」も
このインターネット世界では期待しないということですけどね。
淡々と思考して自らの思考をつむいでいくだけかもしれません。