和解とは何だろうか。

  
昨日は、アジア圏では終戦記念日であり、イタリアでは「聖母マリアの被昇天の祝日」というように所変われば考えも変わるので、いろいろと考えてみました。
  
朝方の靖国神社への参拝がニュースになっていたのですが、参拝そのものの是非ではなくて、和解がまだ済んでいないという認識の違いが問題なのかな?と思いました。
  
ふと思い出したのは、シェイクスピアの「あらし」(Tempest)でしょうか。
「あらし」が過ぎ去ったあと、表面的には和解していくのだけど、復讐や和解に至るまでの話し合いの場で出来事は、心の中に傷跡として残るものなのでしょうね。
    
その傷跡をどうするのか? という部分で、和解に同意したという事実だけで満足する人と、満足できない人の違いがあるのかもしれません。 
  
先日、中国人の友人と話していたら、第一声が、「なぜ、日本人は戦争をしようとするのか?」でした。 話を聞いてみると、北朝鮮のミサイルに対する、国連での話で、「あんなに厳しい決議案を出したら、『戦争になるかもしれない』っていう想像はつかないのか?」という、「想像力のなさ」が気になっていたようです。
  
Amazing Graceという賛美歌(黒人霊歌とも言われるほどアメリカの黒人に愛された歌です)のような話がおきないものなのか。何が足りないのか、考えるのもまた一興かもしれません。作者の経歴を見たあとで、ゴスペル(黒人霊歌)となってしまうほど愛された歌の不思議を見てみると興味がでてくるかもしれませんね。
  
↓の映画は、ヨーロッパで大絶賛されていましたが、「心の傷跡」、「和解」と「再生」がテーマだったからなんでしょう。
   

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個人的には、ロシア映画「太陽」を見に行きたいのですが、なぜ今まで日本でそのような映画が作れなかったのか?が個人的には不思議です。