mixi疲れ

 
「mixi疲れ」を心理学から考えるという記事を読んでみました。
  
単純比較はできないだろうけど、恋愛の恋やつれと似ているなぁと思いました。 恋愛はある意味、非日常なので、それを「生活の中心」とするか、一線を引いて「生活の一部」とするかの違いがあると思います。 「生活の中心」とすると、すぐにでも、恋やつれに陥って、恋に疲れてしまうのではないでしょうか?
  
風姿花伝でも「心は十分に働かせつつも、行動は少し抑えて」という一節があると記憶していますが、コミュニケーションは、「少し抑え気味」と自分が思う程度のほうがうまくいくのではないだろうか?と思います。 世阿弥の言葉は、「心のままに行動するなら、やりすぎる」という警告のように思えるのです。 つまり、恋愛なら、はやる心を抑えて、少し冷たいと思う程度の世話を焼くということでしょうか。
  
そのほうが、自分が無理をしないので疲れないですし、周囲も無理をしていると気がついて疲れないし、気をつかわなくていいのだから、お互いにいいのではないでしょうか?
  
余談ですが、世阿弥は申楽(能楽)を、「楽しみを申す」ことだと言っていますが、ネット社会もある意味、人間というものの楽しみ(善いことも悪いことも)を赤裸々にえがいていているのではないかと思います。
それであるなら、申楽(能楽)の狂言方にある「礼楽(礼儀を失せず楽しむ)」と「和楽(和やかに楽しむ)」という言葉も、ネット社会に通じるのではないかと思います。 和楽は、誰かの自己犠牲の上にあるのではなく、誰もがお互いに和やかに楽しむことだと思います。